2018/05/17
さて、心には、感情には知性があるのかと言う問題ですが、答えはYESです。
それを知る一番簡単な方法は数学を解くことです。
よく分かるのは応用問題を解いているときです。
小学生、中学生なら入試問題を解いているときです。
難問に挑戦しているとき、なんとひねりだした答えを解答にして失敗した時の心の状態は、どうも心が晴れない、スッキリしないものでしょう。
それは、君の心がその答えは間違っているよと発信しているときです。
でも何とか出した答えを解答とせずもっと考えていくと、ある瞬間、これだ!これが答えを導くやり方だ!と最後の解答が出る前に正解を確信し、一気に答案を仕上げ見直しなんてしないで提出した経験をお持ちの親御さんは多いと思います。
その時の答えがすべて正解ではなかったでしょうが、あの閃く瞬間は実は数学だけのものではありません。
数学の教師はそれを数学のヒラメキだと専売特許のように言っていますが、音楽、絵画、文学特に詩、など芸術の分野でもみられますし、人生の選択をする時にも同様な体験をして、ご自分の道を切り開いて行かれる方は少なくないでしょう。
これが心の持つ知性の表れです。
私たちの心は、それが正しく働くとき意識よりもっと奥深く、はるかに知的なものです。
前回の終わりに申し上げた東京工大世界文明センターではロジャーパルバース氏を所長に迎え、学生に芸術の視点を経験させたところ理系の学生にもかかわらず、あるいは理系の学生だからこそかもしれませんが、いかに彼らが本物の文化に飢えていたかよく分かると報告しています。
芸術の持つ視点の多様性は、我々が普段持ってる視点からすればinsideoutとかback-to-front などと呼ばれ、その多様性に触れることにより今までとは異なる発想、創造を期待できるようです。
私たちは、子どもたちに心の知性に出会い、そしてその心を大切なものとして認識してもらい、その心を磨くことが自分の未来を見つめ、決定するのにとっても大切だと知ってもらいたい。
それこそが中学時代、高校時代の大切な役割です。
心を磨く方法のひとつとしての勉学―特に受験勉強は正しく捕らえれば、心の知性を磨く第一歩となりえましょう。
無になって学ぶことの楽しさと、厳しさを十分体験してもらいたい。
学ぶということは本来純粋な行為です。
誰もが通る受験という機会を利用して、競争とか結果を超えた本来の学びを体験してもらいたい。
それがレッツの願いです。
この願いは1970-80代にかけて宮城教育大学学長を勤められながら全国の様々な学校で授業実践を行い、特に神戸では繰り返し足を運び人間の学ぶ力とその尊さを私たちに見せてくださった林竹二先生の願いでもありました。
残念ながら私は実際に先生のご指導を受けてはおりませんが、若い我々教師を目指すものたちは先生の著書をむさぼり読んだものでした。
レッツは、林先生の願いの100万分の一でも叶えられるようにと作られた塾です。
塾生たちには神戸進学塾レッツの伝統を受け継ぎすばらしい先輩たちに続いてもらいたいと願っております。